閑話休題



話は日本出発の二ヶ月前に遡る。
オレはとある旅行会社と、北朝鮮行きの交渉をしていた。

北朝鮮旅行を取り扱う旅行会社といえば、どう考えてもアングラな、デンジャラスな香りのする会社を想像しそうだが、実際にオレが交渉していた相手とは、現 代グループ(韓国の財閥グループ。日本でいうところの三井、三菱あたりか)の「現代峨山」という旅行会社であり、氏素性はしっかりしている。

現代峨山が企画している北朝鮮旅行に「金剛山ツアー」というものがある。
金剛山とは我々日本人には馴染みが薄いが、朝鮮半島一美しい山と謳われており、中国、宋代の詩人である蘇東坡も「高麗に生まれ金剛山が見られるのなら悔いはない」とその美しさを讃えている。ちなみに「蘇東坡って誰?」ていう質問はオレにしないでね。だってオレも知らないから。

さて、現代峨山とは韓国の旅行会社であるが、日本語受 付もあるのでオレみたいなアホがいきなり日本語で電話してもノープロブレムなのである。という訳でさっそく、オレは日本語でツアーの詳細を聞いてみることにした。
「金剛山ツアーに参加したいんですけど、日本語ガイドってつきます?」
「日本語のツアーでしたら、4月の27日に企画しております」
「他の日は?」
「他の日については今のところ予定がありません。どうでしょう、この日に申し込まれてはいかがでしょうか?」
「分かりました、じゃあその日にします。申し込み用紙を送ってください」


金剛山に限らず北朝鮮旅行については、申し込んでから直前まで全然連絡が来ないというクレームをしばしば耳にしていた。
しかし、オレの担当となったハンさんは礼儀正しく、その上日本語も堪能であったので信頼できることこの上ない。とんとん拍子に話は進み申し込み用紙が手元に送られてきた。

申し込み用紙を見て驚いた。そこにはオレの個人情報について記入する欄が事細かく存在しており、これを北朝鮮政府に申請しないと入国することができないという。
個人情報については住所、氏名はもちろん、顔写真やさらには自分が働いている会社の名前やその役職まで書かないとならないという。おいそれと記入するにはちょっと躊躇する内容だ。だいたい、役職名なんか知ってどうするんだろう?

もっとも、これだけ個人情報の取り扱いがうるさいこのご時世だ。流出されたり悪用されたりする心配は無用であろう。しかも個人情報の提出先は北朝鮮だ。まかり間違っても旅行者たちの肩書きを調べ、拉致する人間のリストアップに利用するなどといったことはあるまい(涙)
もっとも、オレが拉致されたところで将軍様のお役に立つことができないことが容易に予想される。役に立つどころか将軍様の足を引っ張るだけである。よって、向こうの国でオレが拉致される確率は極めて低そうである。

とりあえず拉致の心配はなさそうなので必要な個人情報を記入してハンさんに提出する。ハンさんからは後日詳細を連絡しますとだけ連絡された。
しかし、それから一ヶ月以上経っても彼からは何の音沙汰もなかった。
オイコラテメー、人の個人情報集めといてどういうつもりだオラ!
オレはハンさんに抗議の電話をした。

電話に出たのはハンさんではなく、別の女性であった。
「すいません、ハンさんおりますか?」
「ハンですか? 辞めました
「へっ? 辞めた!?」
「ところでどのようなご用件ですか?」

オレはこれまでの事情を彼女に話し、申し込み用紙を送ってからまったく連絡が来ないことを説明した。
「大丈夫ですよ。ちゃんと参加者に登録されております。こちらから必要な書類を送りますのでもうしばらくお待ちください」
ふー、それはよかった。しかしここでオレが催促してないとこのまま忘れ去られていた危険もあった訳だ。そう考えると少しぞっとする。
「あと、確か今回のツアーには日本語ガイドがつくんでしたよね。そちらについては大丈夫なのですか?」
日本語ガイドはなくなりました。日本人の方が集まらなかったので」

待てまて待てーい! 日本語ガイドがつくと言ったからその日にしたんだろう。今さらキャンセルされたら意味ないだろうが!

「どうします? 旅行をキャンセルなされますか?」
オレは少し想像してみた。日本語がまったく通じず、北朝鮮で一人...
確かに参加するのは少し躊躇われる。つーかすごく躊躇われる。

しかし、日本人が集まればガイドがつく訳だ。それなら何も問題ない。
そう思ったオレは親しい友人を何人か誘ってみた。が、当然のごとく全員に断られた(ToT)。

オレは真剣に悩んだ。
実はこの時、オレは一人の女性に恋していた。そして、その女性とはソウルで二人きりで会う約束をしていた。
愛する女性と北朝鮮、この二つを秤にかけた場合、100人いたら120人が愛する女性を選ぶはずである。
北朝鮮行きをキャンセルして彼女と一週間、ソウルでデートしても誰もオレを非難することはできないのではないか?

しかし旅行直前、彼女からドタキャンの連絡が来て恋の花が無残に散ってしまったことは、前回紹介した通りである(号泣)。
事ここに至ってオレは決意した。北朝鮮でも行こうか。

こうして日本史上類を見ない、北朝鮮への失恋旅行が今その幕を開けようとしていた。あーやだやだ、行きたくない(涙)



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