悪夢ふたたび ツァガーンスム温泉



「しゅんさーん、大丈夫ですのー?」
ビルグーンが心配そうに尋ねる。

ムリもない。連日の乗馬でオレの疲労は限界に来ており、痛みで関節を曲げることができずC-3POのような歩き方をしてたのだから。

「ビルグーンは優しいんだね。でも心配ないさ、温泉に入ってゆっくりすれば、きっと元気になるよ」

「そうですね。さぁしゅんさん、温泉で、ツァガーンスム温泉ゆっくり休んでください」


ツァガーンスム温泉。そこは今から二日前、一人の日本人旅行客をホームシックに陥れたという忌まわしの温泉である(詳しくは温泉へ行こう モンゴル編を参照)。

しかしオレは知っていた。実はここにはもう一つ、正真正銘の「隠し湯」が存在するという事実を。
古のモンゴル民族のみならず、現代の旅行客にすら存在を隠そうとする理由はまったく分からないが、こうした話を聞いた以上、真相を突き止めなくてはいけない。
という訳でオレは、真相を知っていそうな女将を捕まえ問いつめることにした。

「おい女将、温泉を出せ。この間のチャチな温泉ではなく、正真正銘の隠し湯だ。
隠すとためにならんぜ、早くしな」

オレの脅しが効いたかどうかは分からないが、女将は隠し立ても何もせずに
「あぁ、隠し湯ですね、どうぞ、どうぞ」
とあっさりオレを案内してくれた。なんだ、意外に話が分かるじゃんか。


オレたちは柵で囲われたキャンプ場の外に出て、人里離れた場所にあるという例の隠し湯へ向かった。
ちなみにビルグーンは置いてきた。慣れぬガイドの日々で疲れているだろうから、余計なことにはつきあわせたくないというオレなりの気遣いである。日本語もモンゴル語も話せる彼女が間に立ったほうがトラブルを防げるであろうが、モンゴル語ならオレも キャバ嬢から 勉強してきたから何とかなるだろうと思っていた。
そして、敢えて説明の必要もないかもしれないが、現実にはそんなオレひとりの力で何とかなるはずもなく、この先待ち受けていた温泉で当然のようにトラブルに巻きこまれることとなった...



沼地に浮かぶ橋板の上を歩くオレたち。人の手が加わっていない周囲の光景が、これから向かう先の秘境ぶりを思わせる。
沼には葦のような植物が生えており、何だか日本みたいな雰囲気である。モンゴルにもこんな景色があるんだと感心したり、
「アナタは日本の女性にホントよく似てますね、でへへ」

と女将にモンゴル語でテキトーなこと言ってシカトされたりしながら歩き続けること五分、


「こちらになります」

「えっ?」




「あの、これ...」
「温泉です」


いや、確かに温泉といえば温泉だが、どちらかというと「温泉」というより「源泉」という表現が適切だと思う。
オレのイメージでは「温泉」といえばお湯に入って身体を休めたり、湯の中のミネラルで身体を癒したり、ババンババンバンバンとか、いい湯だな、アハハーとか歌ったりする場所である。
オレはそれを女将に説明しようとした。

さすがに ここまで混みいった内容をモンゴル語で表現するのは難しいので、オレは英語で説明しようとした。が、あいにく女将はモンゴル語以外分からない、つーか、オレ自身にそんな高度な英語力がない(号泣)ので、
「温泉、おんせん、ババンババンバンバン」
とできる限りのモンゴル語とボディーランゲージを駆使して自分の思いを必死に伝えた。


必死の思いが通じたのか、女将は分かったように頷きオレを別の場所に案内した。入浴場らしき建物が見えたので、どうやらオレの思いは伝わったようである。
女将はそこにいた少年に何か指示した後、一人で先に帰ってしまった。後に残った少年に案内されて入浴場に連れて行かれる。

「さぁ、ここだよ」
扉の向こうに待ちわびていた隠し湯がある。いったいどんな温泉なのだろうか、ドキドキ。
胸の高鳴りを覚えながら扉を開ける。






...



見まちがいか。目をこすってもう一度眺めてみる。





長年捜し求めていた隠し湯、それは脱衣所すら存在しない木製の小屋の中にあった、タダのお風呂だった。
あの、何かこれ、前より悪くなってるんですけど。


文句を言っても始まらない。この隠し湯を追い求めてこれまでさんざん苦労してきたのだから。
見てくれはショボいけれど、きっと温泉の中には大自然の神秘が詰まったミネラルが豊富に含まれており、疲れた身体をたちどころに癒してくれるに違いない。
何たって隠し湯だ。そんじょそこらのインチキ温泉とは違う。
そうオレは固く信じ、温泉のお湯に足を浸からせた。






......





熱 い。


熱い、熱い! 何だこの熱さは!! スーパージョッキーの熱湯コマーシャルか、これは!!!
オレは反射的に足を引っこめふぅふぅしながら火傷しなかったか確認した。

ツァガーンスム温泉は源泉の温度が他よりも低いという。思うにここでは、源泉の温度が低いため水を混ぜずにそのまま利用していたと考えられる。
だが、いくら源泉の温度が低いといっても、58℃という温度は人間にとっては熱湯であるということを、ここの人たちは考えることができなかったのかもしれない。


事ここにいたってオレは理解した。なぜこの温泉が「隠し湯」とされているのか?
それは、モンゴル帝国の皇帝が密かに利用していたからではなく、あまりに酷い環境のため旅行客に存在を隠しておきたかったからなのだということを。




こうして結局乗馬の疲れが取れず、むしろ疲れを増幅させて温泉を出たオレの前にさっきの少年が立ちふさがった。

「マネー」
「へっ?」
「温泉入ったでしょ。2000トゥグルク払ってよ」



ふざけんなこのクソガキが、あんなインチキ温泉でカネとるなんて何考えてんだ! 
日本人舐めくさるのもたいがいにせぇ、絞めるぞコノヤロー!!


という言葉が喉から出かかったが、そこは大人の対応をして辛うじておさえこみ、つーかモンゴル語でこうした怒りの感情を表すことができなかったので
「ゴメンね、お兄ちゃんいま財布持ってないんだ。お金持ってくるからここで待っててね、へへへ」
と薄笑いを浮かべてそこから立ち去った。命拾いしたな糞ガキ、オレがモンゴル語できなくて。


キャンプ場に戻るとビルグーンが心配そうに待っていた。
「しゅんさーん、大丈夫でしたのー」
「ごめんビルグーン、心配かけちゃったね。もう勝手な行動とらないよ」
「でも、何もなくってよかったですわ」
「そうでもないよ。温泉にいた子どもにお金払わなくちゃいけないし」
「えっ、お金? お金など払う必要ありませんわ」

「え、必要ない? でも、さっきの少年は払えって...
あれ? オレ、もしかして...」

「騙されたんですわ」










オレは切れた、モンゴルに来てはじめて切れた。

あのクソガキ、今度会ったら絶対殺す!!