
最低最悪の般若心経
厳しい修行を続ける私たちにとって憩いのひとときとなる食事の時間。しかし、僧侶にとっては食事すら修行の一環である。
目の前に膳が運ばれ箸を手にする...前に、私たちに食べ物を与えてくださった仏様や農家の方々への存在、あるいは私たちのために糧となってくれた生き物の存在、その他とにかく色んな物への存在へ感謝の意を捧げるためにお経を詠む。
その後、茶碗のふたに米粒を七粒捧げる。これは地獄で苦しむ餓鬼を救うための行為であるらしい。
これらの後にようやく食べ物を口にすることを許される。
さて、お寺の食事といえばまず精進料理をイメージする。今回私たちが口にしたのも精進料理である。
精進料理といえば「野菜ばっかでお腹がふくれない」イメージがあるが、実際に出された料理は案外バラエティーがあり口にしていて飽きがこない。
例えば豆腐(たぶん)をうまいこと調理して肉っぽくアレンジした食べ物などがあった。これだけ出されるとふつうの料理なのか精進料理なのか判断ができないであろう。
そしてボリュームがかなり多い。女性の場合全部食べきれてないということも珍しくない。
なんだか絶対に食いきれないであろう量を出す旅館の食事みたいだ。
そして、そんな中残りものを物欲しそうに眺めるという、生きながらにして餓鬼道に落ちてしまった人間がひとり存在していたなんて話はここでは決して触れたくない。
食後、一室にこもって般若心経の写経を行う。
墨汁を使わずに墨をすり、筆を使って文字を書く。筆で文字を書くのは中学校の書道以来だ。
さて、字には人の心がよく表れるといわれます。写経も同様です。
心をこめて作ったお経は作者の願い、希望がこもったものとなっていることでしょう。
それでは管理人の願いがこもった般若心経をご覧ください。

↑管理人が「心をこめて」作成した般若心境
*お経を目にした人の感想
「......」
「これ、本当に効果あるの?」
「まぁ、書いた人の心がアレだから」
言い訳を、言い訳をさせてください!
実は私、右手で文字を書けないんです(左利きなんです)。
文字って止めとかはらいとか右利き用に作られているじゃないですか? これを左で書こうとするとどうしてもこういう風に乱れたりするんです。決していいかげんに書いた訳でも、私の心が乱れているからでもありません。
それに、大事なことは「そこに心がこもっているか」です。
住職さんも言っておりました。「字の上手い下手は問題ではない」と。
仏を想う心がしっかりしていれば例えどんな字であっても、できたものは効験あらかたなお経となり得ることでしょう。
例えそれがこんな字であっても。

↑こんな字
本日の最後、「五体投地」で一日を締める。
「五体投地」とは仏様に対する最高級の礼儀作法である。やり方は
1. 左足を後ろに引き膝をつく。
2. 同じく右足の膝をつく。
3. 左手を広げて甲を床につける。
4. 同じく右手の甲をつける。
5. 広げた手の平の上に額をつける。
6. 1.〜5.の逆の手順で立ち上がる。
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これを108回繰り返す。
と簡単に書いたけど、言ってみればコレ、
スクワットを108回やっているようなもの!
これはキツい!
個人的にはこの間富士山登った時よりもキツかった。
五体当地が終わり本日の修行がすべて終わる。
こんな私は果たして悟りの道を切り開くことができるのだろうか?
次回は感動の(?)最終回。
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