修行の果てに






僧侶の朝は早い。朝の修行をするために、夜が明けていない朝の五時に起床することとなった。
志村けんのだいじょうぶだぁではないが、いつも始業ギリギリに出社している私にとっては、 朝五時に起きるなんて「ご、ご、ご、五ー時ー!?」と叫びたくなる。


朝の六時。お勤めを行うため集合場所に来てみる。が、そこに見えるはずの住職さんたちが見えない。
一体どうしたことだろう? こんだけ早起きして「ゴメン、やっぱなし」というのだけは勘弁してほしいものだが...
一時間後、住職さんが姿を見せる。そしてひとこと、



「ゴメン、やっぱなし」


そりゃないだろ(ToT)


(話を聞くと、朝の六時に到着するようこちらに向かったのであるが、途中で車の交通トラブルに巻き込まれて遅れてしまったらしい。仏の力を持ってしても交通ルールまでは変えられないようだ)




朝食をすませた後、「三密禅」という修行を行った。
「三密禅」とは何か? 文字通り座禅の一種であるのだがただの座禅とは効果が違う。どう違うかを説明するため住職さんのこちらの言葉を引用してみよう。

あなたが、心落ち着かず悩みが絶えないのなら、 三密禅を組むことだ。
あなたが、病で苦しむのであれば、 三密禅を(以下略)
あなたが、願い事を叶えたいと思うならば (略)
以下続く)

人生相談のコーナーで「空手をやりなさい」しか言わなかったかつてのゴッドハンドと同じノリであるのが気になるが、このコメントだけで三密禅とは人生を幸せに導くすばらしい座禅であることが理解できるであろう。

その三密禅とはいったい何ぞや、具体的な説明をしてみよう。
円の書かれた布の前に座る。座る姿勢は座禅の型が理想であるが、必ずしも座り方には決まりはなく、楽で痛くない座り方でも構わないそうだ。
そして目の前にある円に視線を向けて、自分にとって精神的な助けとなる人――親とか兄弟とか恋人とか友人とか――を円の中に投影して心の安定を目指す、これが三密禅の流れである。

が、実際やってみるとこれがメチャクチャクチャ難しい。
なぜなら、

自分には精神的な助けとなってくれる人がひとりもいないからである
(号泣)


仕方ないので目の前の円に某A○女優の淫らな姿を投影しながら時間を潰すことにした。
修行のたびに淫らな妄想で時間を潰しにかかるオレ。ここに来る前より人間として堕落したような気がする(泣)。



そんな私であるが、どういう訳か葬儀(といってもペットのであるが)の場でお経を詠んで供養を行うこととなった。
こんな私がお経を詠んで亡くなったペットは本当に成仏できるのか? むしろ祟られる可能性のほうが極めて高いような気がしてならない。
もしかしてこれは、新手の罰ゲームではないか?

ペットを亡くした老夫婦は目を真っ赤にはらして泣きじゃくっていた。この姿を見ただけで彼らがいかにこのペットを大事にしていたかが伝わってくる。
そんな老夫婦を見て私は思った。何としても彼らを救ってあげたい。いまこそ修行の成果を見せるときではないか!
彼らの悲しみを鎮めるため、私は厳しい修行の成果を活かすべく、心をこめてお経を読みあげた。

お経を詠んでいる間、苦しかった修行の光景が走馬灯のように浮かんできた。

座禅のときに妄想したオレ。
一緒に修行した女性に欲情したオレ。
本人すら解読できない般若心経を書いたオレ。
五体当地で筋肉痛になりかけたオレ。




......


果たして亡くなったペットはこれで満足してくれたのだろうか? むしろ、呪ってやると怨みに思われていないだろうか?
でも聞いてくれ。オレはただ、住職さんから命令されただけなんだ。だからオレ悪くない。私に祟るのだけはどうかカンベンして〜〜〜(号泣)。


こんな私を、果たして仏様は受け入れてくれるのか?
すべての修行を終えて、憂鬱な気持ちで修了式を迎える。
こんな私にも卒業証賞が渡された。そこには 「これからの人生が御佛と共にありますように」と書かれていた。
こんな私でも仏様は受け入れてくれるのだ。なんて寛大な存在であろうか。

ありがとう円満院!
ありがとう仏様!!


仏様への感謝に満ちた気持ちでお寺を後にする...と思ったら一室に閉じ込められ反省文感想文を書かされた。
感想文を提出して本当におしまい。
かくて、一泊二日の間お寺で過ごした修行の旅は終わりをつげるのでした。



P.S. 余談ですがここで書かれた感想文は円満院ホームページに紹介されております。興味のある方は一度目を通してみると面白いかもしれません。
ひとりだけぶっとんだ感想文がありましたら、おそらくそれが私のものです。


修行を終えた後に頂いた修了証
「これからの人生が御佛と共にありますように」と書かれてある





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